罪と罰  ドストエフスキー 変態紳士のスヴィドリガイロフの役割も大きい

我ながら褒めてやりたい。かなり昔に新潮の工藤精一郎 訳を超特急で一度読んだきりだというのに、ちゃんと内容を覚えていた。単に話の展開だけではなく、会話の内容、描写の細部までもがページを手繰るたびにグングン甦ってきた。今回は講談社 北垣信行 訳を手にとった。大仰かつ、である調の工藤訳よりも読みやすいと感じている。

上巻、中巻と読んで。

現代の小説と比べると物語の動きがすこぶる鈍く、すべてが長大。しかし、まさにそこがこの作品を高める最大の魅力となっている。三人称の知の語り手は、頻繁に主人公や他のキャラクターたちの内面へ入り込み、心理描写と独白をこれでもかとほじくりだす。登場人物は顔をあわせば金切り声をあげながら相手を挑発し、半狂乱の主人公は徹底して面倒くさいやつにみえる。それにしても、この小説から発散されるただならぬ熱量ときたらどうだ。過剰さが彼らの血肉となり、紙の上から読者の脳内へ飛び込んでくるのだ。

カテリーナの命を賭したドタバタには大笑い!当人や家族には悲劇ではあるのだけれども、野次馬の立場からすればおいしい見世物でしかない。まぎれもなく彼女は裏の主人公であり、主役とヒロインに次ぐ重要な存在だった。変態紳士のスヴィドリガイロフの役割も大きい。資金援助の面では最も尽力し、哀れなみなしごや乞食同然の歌手にまで札びらを切る行為はブルジョアではなく人道主義に近い。ドゥーニャとの最後の場面では恋のライバルであるはずのラズミーヒンによろしくと白旗をあげる潔さ。彼は誤解されたまま死んでしまういい人の典型である。